ネバーギブアップ 1話

プロローグ

「ちょっと最近人手不足が深刻化している、コレを解消せねば……」

 暗い部屋の中、壁になにやら円グラフが表示されている。
 この会議で1番偉いだろうと思われる奴が壁に表示されたブラフを見て唸る。

「それは我々も深刻だと捕らえてます、このままだと難しい」

 壁のグラフの近くに座った奴が指し棒を持ち、グラフを示す。
 グラフは約『5:3:2』で分かれていた。

「うむ、どうにかせねばなるまい。これについて妙案があるモノは?」

 手を組んでいるだろう姿勢の影は、ぐるりと周りを見回してみる。
 辺り一面静寂に包まれる。

「妙案なし、か。どいつもこいつもその頭は飾りか」

 憤慨する影、その中には勿論自分も入っているんだろうな……と一同。

「あの〜、妙案かは分かりませんがアイツを向かわせて見ては?」

 影も気が弱そうな細い影がスッと手を上げる。
 それを見た偉そうな影が目を細めた。

「アイツか……、しかしアイツはなあ……」

 なんだか気が向かないようで言葉を濁す。
 それに習うように所々でざわめきが起こった。

「アイツってアイツか? ちょっとアレだろ、アレ」

「しかし、一部では大絶賛らしいぞ」

「う…まぁ、分からなくはない」

 暫くざわざわしていた一同だが、どうも他に案もないということで話はまとまったようだ。

「では、アイツに一任するとしよう。おいお前、知らせて来い」

「は、はい……!」

 指名された影は背筋を伸ばしドアに向かって走り出した。

 再び静まり返った会議室らしい暗い部屋では、偉いであろう奴が小さく呟いた。

「あの性格が難ありだから心配なんだが……」

 一同は力強く頷いた。




* * * * * * *


 僕の名前は僕の名前は正義修羅(まさよし しゅら)。
 今年高校2年生。
 僕はこういう話ではお決まりのただの平凡な日常を送る学生で、あの日も1日の学業を終えて帰宅した。
 帰宅したまでは良かった。
 帰宅して、変なのに関り、僕の生活はなんだか滅茶苦茶になった。
 あそこで気にせずにほっておけば平和な人生で終われたのかもしれない。


* * * * * * *


「ただいま……誰も居ないだろうけど」

 あの日、僕はいつものように誰もいない家に1人帰ってきた。
 親は仕事が忙しく滅多に帰ってこられない。
 そもそも今、日本にいない。
 この歳になると慣れてしまう、どうでも良くなる。
 どうでもいい考えは頭を振って忘れるのが1番だ。
 そんなたわいない事を思いながら僕は自室に向かった。
 僕の家はちんまりとした一軒家で、もう少し日当たりがいいと文句なしなのにと、いつも思う。
 まあ、こればっかりはどうしようもないから口に出しては言わないけど……

「メール受信、2件と……」

 いつものようにパソコンを起動させ軽くメールをチェックする。
 いつも届いているのは決まってどこかのメールマガジンだけ。
 もうどこから来てるのかも分からないのでそのままにしている。

「お風呂を先にしようかな……」

 部屋着のラフな格好になりつつ、制服をハンガーに掛けて苦笑い。
 制服の下に来ていたシャツから香る微かな青春の香り……汗臭い。
 シャツを手に持っていたその時だった、何か擦れ合うような音が僕の耳に入ったのは。

ガサガサガサ……ガササ、ガササササ……

 よく耳を済ませると屋根裏からなにやら音が聞こえる、それもかなり微かな音だ。
 僕は鼠か何かだろうと思って相手にしなかった、と言うか相手にしたくなかった。
 理由は簡単だ、僕は害虫なるものが大嫌いだ。鼠、ゴキブリなんか見たくもない。
 ゴキなんかはこの世から消えて欲しいとさえ思う。
 あの光沢のある体、細長い触覚、素早く動く手足……
 うぇ、想像しただけで吐き気が……
 そんなこんなで害虫とは関わりたくない僕は部屋をくつろぐ部屋を変える事にした。
 早足でドアのところに行き、ドアノブに手をかけ……

ポト……

 背後で何か落ちる音がした。

「いや〜ん、眩しいのよー」

 更に声までする、小さな声だけど確かに声が……
 この家には誰もいないはず、僕以外の人間なんているはずがない。
 いや、僕が気付かなかっただけなのか? 僕のいない間に誰かが忍び込んでいたりしたのか?
 まずは確かめないと、後ろに誰がいるのかを……
 覚悟を決めた僕はそ〜っと後ろを振り向いた、誰もいない。

「なんだ、気のせいか……よかった」

 誰かいたらどうしようかと思った、疲れが溜っているのかも知れないな。
 深呼吸をしながら胸をなで下ろしたその時だった、『彼女』はちゃんとそこにいた。
 「あ〜ん、汚れちゃったのよー」等と言いながら、素早く動く手足で、光沢のある体を撫でながら、細長い触覚を左右に動かしている。

 僕は言葉を失いながら絶句した。
 あの黒いのが喋っている、触覚にリボンまでつけて……
 お洒落のつもりか、ゴキにお洒落も何もないだろう。いや、今はそんなことを言っている場合じゃないだろう。
 喋るゴキブリを見つめながら思考をめぐらせていたが、手は無意識に新聞紙を掴んだ。
 ヤらねばヤられる……!!!
 解釈が違うような気もするがこの際どうでもいい。
 この1匹が出てきたと言うことはこの家にはまだ多くのゴキが潜んでいるに違いない。
 1匹見つければ30匹はいると思え、僕の祖母の言葉だ。これを今信じなくていつ信じる。
 もし、こいつが卵なんかを産んだら……
 あぁ、考えたくもない。

 新聞紙を握る手に力が入る。
 これで、今、仕留めなければ……
 そっと、そしてなおかつジリジリと間合いを詰めながら手を思いっきり振り上げる。
 ゴキブリはまだ気付いてない、1撃で仕留めなければ……

 今だ、とばかりに振り上げた手を振り下ろす。

 新聞紙がゴキブリに迫る。

バシッ!!

 小気味よい音と共に新聞紙と床がぶつかり合う。
 ふっ、ざまぁみやがれ。人間様の目の前に出てきたのが運の尽きよ。
 大嫌いなゴキブリを前に性格が変わりながら、僕は勝利を確信して新聞紙をそっと上げた。

 ………………………あれ。

 新聞紙をあげて確かめてみたらいるはずのところにゴキブリがいない。
 逃げられた!!? いつ、どこで、確かに仕留めたはず……

「人間、危ないのよー もう少しで死ぬところだったのよー」

 ちょこんと新聞紙の影にしがみつきながら、確実にこっちを見ながら話している。
 なんだよ、この凄くゴキブリのようでゴキブリじゃないゴキブリは。
 そんな事を思いながら僕は次に殺虫剤に手を伸ばした。
 そうだ、始めからこっちを使ってれば良かったんだ、気が動転してたんだな。納得納得。
 その間にもゴキブリはタラタラと説教モードだ。
 ゴキブリだって生きているだの、すぐ攻撃するなだの……
 そんな説教くさい話は右耳から左耳にスルーだ、スルー。
 あれ、左耳から右耳だったっけ? どうでもいいか、この際。
 誰も聞いてない説教を話すのに忙しいのかこっちの行動に気付かない間抜けなゴキブリに今、人間の偉大さを教えてやる。
 僕はゴキ●ェットを構えて、即座にゴキブリに噴射した。
ブシュ―――――

「あ、ちょっ! いや〜ん」

 ゴキ●ェットは、今度は確実に変なゴキブリに直撃した。
 直撃を受けたゴキブリはポトリと床に落ちていく。
 見たか、これぞ人間最高傑作ゴキ●ェット。どんなゴキブリも一発で三途の川へご招待。
 あのCMは伊達じゃない。

「ふぅ、何とか家の平和は守ったな。でもこれ、ゴミ箱に捨てるのがまた嫌なんだよな……」

 ゴミ箱に捨てるのには、このゴキブリを移動させなくてはならないって事だ。
 箒で掃いて新聞紙ごと……

「く、くるしいのよー 死ぬかと思ったのよー」

 …………………………。

 何!!!? 人間の最高傑作が効いてない。あのCMは嘘だったのか!?
 少し混乱しながら僕は殺虫剤を落としかけ、なんとか握りなおした。

「人間、何するのよー 危うく死ぬところだったのよー このアホボケカス」

 最後の語尾に腹の立つ単語があった様な気もしなくもないが、今は気にしないでおこう。
 そんなことよりあのゴキ●ェット直撃でなんでこんなに平気そうな顔をしているんだ。
 いや、顔を見たわけじゃないけど。 ってか、気持ち悪くて見られません。

「今の時代、そんなモノで倒れる仲間はいないのよー」

 明日でこの世が滅びます。なんて告白されてもこんな絶望的な今の顔にはならないだろう。
 衝撃の真実。
 何、今の時代のゴキブリはゴキ●ェットじゃ駄目ですか!
 人間の最高傑作、敗れたり……

「まだまだ勉強不足なのよー 見かけは悪いけど私たちだって生きてのよー いきなり攻撃はやめて欲しいのよー」

 攻撃はやめてと言われても……なんだかこっちが悪者な気分。
 相手がゴキブリってのが、もの凄く悔しい。
 人間の文明ははこんなのに敗北……情けない。

「人間、聞いているのよー これは重大なお話なのよー」

 ゴキブリの話に重要もへったくれもないだろう。
 話は聞いてないけどゴキブリの相手をしている僕って……
 凄い敗北感。

「そういえば人間、お前の名前は何なのよー これから呼び名に困るのよー」

「修羅、正義修羅」

 あぁ、もうどうにでもなれ。
 人間の言葉を話すゴキブリ……お願いだからこれ以上近づかないで下さい。
 微妙な間隔の場所に立ちな……ゴキブリが立っている!? 後ろ足2本で体を支えながら腕じゃなく手を組みながら話している。
 さ、最近のゴキブリは進化したんだなぁ。
 ……そろそろ現実逃避をしたくなってきたよ。

「私はキャサリンなのよー その小さな脳ミソに叩き込んでおくがいいのよー」

 ゴキブリに小さいって言われたくはない。
 僕の脳はお前のより何倍か大きいぞ、ゴキブリの癖に……
 てか、キャサリンって……ゴキブリなのになんでキャサリン?

「って訳で、お前はこれから私の手伝いをするのよー」

 早速“お前”呼ばわりですか、名前聞いた意味ないじゃないですかー。

「あー、はいは…って、なんでそうなる!?」

「なんで……? それは今さっき話したのよー」

 やばい、聞いてなかった。 上の空でした。

「き、聞いていませんでした」

 ゴキブリ改めキャサリンに嘘をついてもしょうがないので僕は本当の事を言うことにした。

「今時の人間は駄目駄目なのよゴキブリの話も碌に聞かないなんてどう言う事なのよー」

 いや、初めにゴキブリは喋りませんから。

「しょうがない馬鹿なのよー ここはこの私が要点だけを短くもう1回説明してあげるのよー」

 そして、なんでこんなに偉そうなんだ、このゴキブリは。

「宜しくお願いします……」

 でも、今は僕が悪かったので一応下手に出ておこう。

「私は困っているのよー だから助けるのよー 以上」

 短い。短すぎるぞ、キャサリン。もう少し内容が分かるように……

「あ、あの。話はコンパクトで良いけど話が見えないんだけど……」

「話を聞いてないお前が馬鹿なのよー」

 ゴキブリにまた馬鹿って言われた、ゴキブリに。

「とにかくお前は今日から私の手足となるのよー これは命令なのよー」

「いや、ゴキ…じゃなかったキャサリンさんにそう言われても……」

 ゴキブリの手足……それって人生終わってないデスカ?

「お前に断る資格はないのよー お前には恨みがあるのよー 私に刃向ったら私の仲間がこの家に押し寄せてくるのよー」

「なっ、言っていることが支離滅裂だ、弁護士を呼べ、弁護士を!」

 1匹でも鳥肌ものなのに仲間を呼ぶってのは何事だ。
 それはあまりにも酷い、話が横暴で無茶苦茶だ。

「弁護士なんかに用はないのよー」

「酷! ゴキブリの癖に!! ゴキブリに慈悲はないのか、ゴキブリに慈悲は!!」

 ゴキブリだからって慈悲があるかなんて知らないけどさ。

「私たちを見た途端に襲い掛かってくる野蛮な劣等種族に慈悲なんて無用なのよー それにお前……」

 そう言うとキャサリンはあろうと事か僕に向かって飛ぶと、太もも辺りに着地した。

「ぎゃぁ――――――――!!!!!」

 大嫌いなゴキブリが上に這い上がってくる、冗談じゃない。
 僕は叫びながら必死でキャサリンを振り払った。
 しかし、キャサリンの手足は強靭で素早かった。
 キャサリンは僕が必死で振り払う手を掻い潜り、太もも辺りから器用に上に登ってくる。
 上に登ってくる恐怖。
 ゴキブリ嫌いじゃない人だってきっと悲鳴をあげて我を忘れるだろう。
 この恐怖は尋常じゃない。

「やっぱり私達ゴキブリが苦手なのよー さぁ、大人しく私の言う事を聞くが良いのよー」

「ぎゃぁああああ―――――――!!!!! 分かった、分かったから早く離れて……」




!!







 気が付いた後、キャサリンは僕から離れ、黒い笑いと共に嬉しそうに触覚を揺らしながらこう言い放った。

「賢い決断なのよー これからお前は私の手足となり、ちゃっちゃか働くのよ〜」

 気が付いた時にはもう何もかもが遅かった、僕はあまりの恐怖に言ってしまったのだった。

 これが決定打になり、この後何を言っても言い逃れできなかった。




* * * * * * *


ゴキブリ如きに打ちのめされた僕は、なぜか分からぬままゴキの手足と化してしまった。
なんでなんだろう、理由なんか分からない。
初めの会話にヒントがあるだろうとは思うけど聞いてなかったからしょうがない、後の祭りだ。
何やかんやで、僕の人生は突如現われた喋るゴキブリによって真っ暗な暗闇になったんだ。



「そんなに人生暗いことばっかりじゃないのよー お前は私のおかげで突っ込みの才能に目覚めたのよー少しは感謝してほしいのよー」

「いや、そんな才能いらないから」

「もう立派に突っ込みとして生活していけるのよー」

「ツッコミで腹は膨れないから」

「もうばっちりなのよーこれからもよろしくなのよー」

「……………」

↑いや、お前早く出て行けよ。と言いたいが言えない修羅の図。

「もう連れないのよ〜 ネバーギブアップなのよ〜」

「……キャサリン、お前が言うなよ」





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UP時期:2006/5/17